
私たちスギノマシンが生まれたのは1936年。今から約80年も昔の出来事です。空気圧・水圧チューブクリーナ専門製作工場「杉野クリーナー製作所」としてスタートしました。
富山出身の皆さんからは「地元の企業なので昔から知っていました」という声をよく耳にします。
でもスギノマシンはもともと大阪の生まれ。戦争による疎開で創業者の故郷、富山県にやってきました。
創業から戦後にかけてのスギノマシンは、機械メーカーとして発展を遂げてきました。産業の機械化が加速する潮流のなかで、スギノマシンの技術は必要不可欠なものとなっていきました。
高度成長期のすさまじい環境変化により、お客様がスギノマシンに求める性能も日々変化し、要求はより高くなっていきました。
私たちは考え続けました。
ある日、会長はこんな一文を目にしました。
「雲の中を飛んだ飛行機が傷ついて帰還した。原因は雲に含まれる水蒸気だった」
会長の脳裏にふと一つの仮説が浮かびました。
「金属が猛スピードで水にぶつかり傷つくなら、猛スピードの水圧で金属を加工できるのではないか」
今日でもスギノマシンの主力となっている技術の一つです。
このようにウォータージェット技術は、洗浄力をより高めようとした挑戦に次ぐ挑戦の末に、生まれたものなのです。
スギノマシンのホームページ、 採用関係以外のページを皆さんはご覧いただいているでしょうか。
ホームページの上部には8つの国旗がデザインされ、各言語が選択できるようになっています。
スギノマシンの海外営業拠点は9カ国14拠点に及び、販売ネットワークは40カ国以上に広がっています。
開発から設計、製造、販売、アフターサービスまでを社内一貫体制で行なうことにより、世界のニーズを掘り起こし、好奇心と情熱をもった海外営業担当者、そして技術者が、ともにグローバルなスギノマシンを築き上げてきました。
スギノマシンは、これからも世界に向けて技術を届け続けます。
こうした、世界のお客様のため、そして社会のためにもっと上を目指すものづくりをどんな時でも突きつめてきたからこそ、付加価値の高い新技術を「必然的に」生み出すことができたのです。
チューブクリーナからはじまった一つの技術が「お客様のご要望」=「夢」によって、様々な技術に変化し、それがさらに連鎖することによって、お客様の「夢」を叶えていく。
こうした技術の広がりをみせているのは、今でもスギノマシンが技術の追求を大切にしている証でもあります。
技術で世の中の課題を解決し、また新たな技術に挑み続ける。